カテゴリー「◎温故知新」の6件の投稿

2014年3月 3日 (月)

【温故知新】ブックレビューNo.6「mamboo流大釣りの極意」

ブックレビューの6冊目です


予定していた休漁期間は無事経過したんですが、まだご紹介したい本は残っているので、今後も時々ブックレビューはポストし続けたいと思います



「mamboo流大釣りの極意」坂井廣 著(2002年集英社新書)


Bookreview8 
もっと早く出会いたかった本です。

この本は2002年の刊行なので、温故知新という感じではありませんね。むしろ、インターネットの活用を含んだ最新の釣り指南の書と言って良いと思います。


たけちゃんさんからのお勧めがあり、ほぼ同じ時期にこっとんさんもブログで取り上げられた本なので、即ポチってしまいました







読みやすい本です。文字も大きく、文章も平易で要点が分かりやすかったです。平日の通勤時間だけに読むスタイルでも、2日(実質3時間強)で読了できました。


作者の坂井廣先生は、日本有数の実績を持たれているロケット物理学者です。定年退職後、その科学者としての力を惜しげもなく釣り研究に注ぎ込まれて、趣味としてではなくビジネスとして事業化されました。


月800万ヒットに達した「総合釣り情報サイト『mamboo』」です。
(残念ながら既に閉鎖されています)


この本の中で、坂井先生はご自身の統計的アプローチによる釣り研究の概要と、その結果に基づく魚種ごとの特性(特に「時合」)について書かれてます(投げ釣りについては力学的なアプローチもあります)。


しかし、読み進めているうちに、釣り本を読んでいる感覚ではなくなりました



この本は確かに釣りのテクニックが記載されている部分があります。でも、それより「創業家の自伝」としての色彩が強いと思います。坂井廣先生はたいへんな釣りキチですが、先生の本質は創業家(アントレプレナー)であり、この本には定年後の創業に係る先生の哲学や苦労が数多く記載されています。常に何かにチャンレンジして成功を目指すことを人生の糧とする方が、たまたま釣り好きだった、という感じでしょうか


しかも、類稀な力を備えた方です。


有能で実績ある科学者でありながら、経営の才能を兼ね備えておられます。経営といってMBA的な采配レベルの話ではなく、泥まみれの草の根営業から自分でこなす本物の「起業」です


定年後にIT技術に適応して事業化に成功した方が、これまでの日本にどれだけいたでしょうか?



そんな思いを抱きながら読んだこともあり、書かれている釣りのテクニックよりも、坂井先生がどんな方で、どんな思いでこの本を書かれたのか、という興味を1番にして読む形になりました







そんな姿勢で読んでみたら、この本には大きく2つのメッセージがあるような気がしました。


ひとつは、「真理は常に具体的」と指し示すような、統計的アプローチを基にした魚の世界の法則の導き出しです。この手の試みは他の本等でも何度も見たことはありますが、坂井先生は日本の科学技術を牽引してきた「本物の物理学者」であることもあり、一味も二味も違います。


違うのは「難しい計算を使う」とか「高い計測機器を使う」とかはではありません。


「目指す理想の高さ」が違うんです。


魚の釣れ方の傾向を統計的に導き出すため、先生が集めた釣果サンプルデータは3万5千本。ご自身の釣行回数もかなりの数に上ったようですが、さらに人脈も活用しながら方々に協力を仰ぎ、実に15年もかかって集められたものです


これは最初から強固な意志で「日本一、世界一」の釣果データベースを目指していなければ到底不可能なことだっただろうと思います。


※母数が大きい対象について統計的に最低限の信憑性を持たせるには2000サンプルくらい必要です。比較は難しいですが、僕が今までに釣り研究や水産研究で見聞きした中で、この釣果サンプル数は他には比肩するものがありません。水産研究における種苗放流後や標識放流後の再採捕を基にした研究でも、サンプル数はこの半分にも満たないものが多いです。


しかも、産卵をする成魚を条件とする観点から「全長30cm以上」に限定されています。漁業資源維持やご本人の大物志向の観点から、稚魚・幼魚サイズは対象外とされたようです。一般に魚は小さいほど警戒心が薄く釣りやすいので、大きいサイズに限定することはサンプル収集を難しくします。言い換えると一切の手抜きがないと言えると思います。


※坂井先生が釣りをビジネスにしようと思い立ったのは40歳。当時の定年が55歳です。そして想定される定年後の余命が23年。先生は残りの人生の範囲でデータベースを完成させ、事業を育てることを目標とされました。当初、データサンプルの目標数は2万本だったそうです。それが3万5千本にまで伸びた理由は、40歳から定年までの15年間をフルに活用し続けた結果だったと読み解くことができます。ここからも定年後の起業を理想に近づけたい、という坂井先生の思いが強く伝わってきます


さらに、統計解析のプロとしての手腕と不屈の情熱が加わるので、このデータから導かれる回帰曲線は信憑性の高いものに至っただろうと思います。特に、魚の時合に対する木星の重力の影響に気づかれたくだりは、先生の情熱の賜物と感じました(この本では統計解析結果の詳細は触れられません。おおまかな経緯や考え方のみ触れられています)。


これらの内容は概説的なもので、主に投げ釣りの観点での考証ですが、釣りをされる人なら誰が読んでも明日から参考に出来ることがあると思います。



定年退職後に、これだけの情熱と行動力を持って高い理想を追求し続けることは本当に尋常ではないと思います。釣りに関する内容よりも、その「生き様」に、感じるものがありました。







ふたつめのメッセージと感じたことは、「想像力の幹を育てることの大切さ」です。


釣りを長くされている方は、みなさん必ず自分なりのノウハウを積み重ねられていると思います。しかし自然相手でつかみどころのないことに感覚で対応する部分も多く、客観的な説明で人に伝えることは難しい(たいていその必要は無いかもしれませんが)感じではないでしょうか。


それ自体はまったく悪いことではなく、いつの時代でもたくさんの釣り好きの人生を支え、繁栄的に成立していることだと思います


坂井先生はこの本の中で、魚の時合の考え方についてはある程度の具体性をもって書かれていますが、その情報を釣果につなげていく方法についてはほとんど書かれていません。この本を参考にする人はたくさんいるとしても、その誰もが「釣れる」ようになるとは思っておられないように思います(実際、本の中にもこのような主旨と思える文があります)。


先生は、客観的考証に基づく想像力の「幹(みき)」を提供してくださっているんだと思います。


仮説に仮説を積み重ねて得た結論には不安定性があります。そこにしっかりした「幹」を加えることによって、釣り師ひとりひとりの想像力が、より信頼性の高い結論に辿り着き、さらに深い推論と実証の世界に踏み込んでいけるようになる、ということを期待されておられるような気がします。


同時に、奥深い釣りの世界に自分の五感で踏み込み、もがきながら進んで行くことの楽しさを奪ってしまうことのないように、という配慮でもあると思います。先生自身が「自分で答えを見つけること」の楽しさを誰よりも知っている方だとすれば、当然のことなのかもしれません


※構築されたデータベースを事業化されていることや、「釣れること」を保証できないサービスの性質からも、核となる分析や具体的な結論を記述できない理由はたくさんあったと思います。しかし、この本には著者の思いが溢れています。書かれていることだけではなく、書いていないことにも強いメッセージが込められている・・・。そんな風に感じました。



うーん、思いが入るとブックレビュー記事は難しくなってしまうものなんですね。自分で読み返しても読みにくく、ややこしいのですが、うまくカットして短くすることができませんでした・・・



なお、著者の坂井廣先生は平成25年初頭に享年74歳で没されています。


尊敬と感謝の気持ちとともに、心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。





2014年2月20日 (木)

【温故知新】ブックレビューNo.5「釣師・釣場」

温故知新のブックレビュー、5冊目です


「釣師・釣場」井伏 鱒二 著(1964年新潮社)


Bookreview6
平成5年で第6版とありますが、復刊されたもので、装丁も当初とは変わっているようです。

もともとは昭和35年に発刊されたものの改訂版で、昭和39年に発刊された本です。僕にとって中学生時代に読んだ「ジョン万次郎漂流記」以来の井伏鱒二先生の著作になります


完全に「釣り本」といって良いと思います。


この本の執筆を目的とした取材旅行に、井伏鱒二先生は2年間ほど費やされているようです。


釣り本といっても、井伏鱒二先生本人の言葉としての釣り指南が詰め込まれている訳ではなく、各地で名のある釣り師を訪ね歩き、その名人の釣りや、聞けた話をまとめる形で構成されています。ひとことで言えば、この本における井伏鱒二先生は「釣りジャーナリスト」としての立場に徹しておられる感じですね。



各章のタイトルを引用させて頂きます。


1. 「三浦三崎の老釣師」
2. 「外房の漁師」
3. 「水郷通いの釣師」
4. 「尾道の釣・鞆ノ津の釣」
5. 「甲州のヤマメ」
6. 「阿佐ヶ谷の釣師」
7. 「最上川」
8. 「庄内竿」
9. 「長良川の鮎」
10.「奥日光の釣」
11.「笠置・吉野」
12.「淡路島」


第1、2、12章は海釣りの話、それ以外は主に川釣りの話です。全体としては川釣り、特にアユに関する比率が高い感じです。井伏鱒二先生は特にアユがお好きだったんでしょうか。


僕はヤマメやアユ釣りの経験がないので、残念ながらこの本の魅力を半分も受け止めきれていないかもしれません。イメージの湧きにくい部分をなんとか理解しようと、章ごとに繰り返し読んだため、読み切るのに2週間もかかってしまいました(朝夕の通勤時間だけで読んでいます)


それでも、海釣りに係る章と竿に係る章はとても参考になりました。海釣りはほとんど鯛釣り(漁)の話で、あまり目新しい話が出てくる訳ではないのですが、手漕ぎボート釣りをされる方は興味深く読めると思います。竿の話は、竿作りの話だけでなく、竿のさばき方の話が少し出て来るところが貴重です。考えてみると、竿さばきを勉強できる機会って本当に少ないですよね。



個人的に、この本のあとがきに惹かれてしまいました。


井伏鱒二先生はこの本について、こんなことを書かれてます。


 釣りたくても釣れないので、釣れる人から釣れる話や釣る話を聞いてくる。
 そういう立場でもって書いた釣り談義である。
 先方はこちらが要点を理解しないのでいろいろもどかしかったに違いない。


謙虚さが伝わる口上です。同時に、(腕前はともかく)釣りが大好きで、釣りに係わる本を書きたい、という気持ちがひしひしと伝わってくる気がします。また、「釣れる話」と「釣る話」という言葉をわざわざ使い分けていることに、インタビューに応じてくれた釣り師への尊敬と礼譲の念を感じます



また、こんなことも書いてあります。


 釣り支度で電車に乗っていると「釣れましたか」などと話かけられることがある。
 そういう場合、こちらの言うのを聞くよりも相手自身の釣り談義をしたいために
 話しかけるのだと思って差し支えない。

 
 私は、そんな自漫話を聞くのが大好きである。


文豪として有名な井伏鱒二先生。この本を読むまでは、もっと泰然とした方を想像していました。こんなお人柄の方だったということは少し意外な感じです。
そして、すっかり好きになってしまいました


いまさらですが、「山椒魚」や「黒い雨」といった先生の有名作を読んでみたくなりました。
作家の人柄の触れるというのは、とても楽しいことですね







ようやく休漁期間の明けが見えてきました


予定では、今週末を過ぎれば実質終了になります


釣り本を読むことと並行して行ってきたスマホ制限の試みも効果が出ていて、かなり頭痛も楽になってきました。


仕事だけは非常に忙しくて辟易してますが、這い釣りに出る気合いは十分(?)な気がします


ちょうど来週から気温も上昇に転じる予報ですし、予想をはるかに下回っている大津の水温も、そろそろ底を打ちそうですね(黒潮が大蛇行して遠く離れているのは気がかりですが・・・)


あと少し心はもう海に飛んで行ってしまいそうです





2014年2月11日 (火)

【温故知新】ブックレビューNo.4「幻談・観画談 他三篇」

ブックレビューの4冊目です


今回は本当に古いです


「幻談・観画談 他三篇」幸田露伴 著(1990年岩波書店)


Bookreview4


昭和13年に発刊された本の文庫版です。幸田露伴の5つの短編が収録されています。かなり古い本で、文章も文語体なので、ややとっつきにくい部分もあるかもしれません。


この本を入手したのは、表題にもなっている「幻談」を読むためです。


「幻談」はNo.1で取り上げた「ムツゴロウの大漁旗」の中にチラッを出てきます。またNo.3の「大江戸釣客伝」の冒頭のエピソードは丸々この短編のオマージュになっています(第1章のタイトル自体がそのものズバリ「幻談」です)。


ただし、読んでみた感想として、この本を「釣り本」として捉えるのはおすすめできません。森鴎外や尾崎紅葉と同じ時代に一世を風靡した幸田露伴の文芸作品と考えるべきと思います



この本に収められているのは以下の5つの短編です。


「幻談」
「観画談」
「骨董」
「魔法修行者」
「蘆声」


このうち、釣り絡んでくるのは「幻談」と「蘆声」です。



「幻談」、「観画談」。


2作品とも、過去に露伴が知り得た、不思議な出来事を経験した人の体験談を伝聞形式で書き連ねた体裁のお話になってます。ちょっとした怪談のような捉え方もできるかもしれません。特に「幻談」は不気味な感じがやや強い作品です。


でも、怪談の類と違うところは、文章から修飾や誇張が限りなくそぎ落とされていて、淡々と話が進んでいくことです。正直、最初はつまらない印象を受けました。


読み終えて幾日か過ごしていると、頭に残ったエピソードが、色々な形で語りかけてくることに気付きました。特に強い印象を持ったわけでもないのに、頭の中にたびたび思い出され、そのたびに新しい印象が浮かんでくるんです。


うまく表現できませんが、語って来るの文字ではなく、行間?という感じ。心に入った真っ白な文章が鏡のような働きを持ってきて、自分の心の中を反射し始めたような気がしました。



ハンス・クナッパーツブッシュをご存知でしょうか?
20世紀初頭から半ばにかけてドイツで活躍したオーケストラ指揮者です。僕は一時期、ワーグナーの曲を色々な指揮者で聞きまくっていた時期があり、その時にCDで聞いた中の1枚だったんですが、忘れられません。


淡々として機械的なテンポの演奏。聞いていると単調でガッカリ気味。しかし気が付くと、批評しようとする意思の下側からいつのまにか潜り込んで心の奥に響いてきます。演奏も半ばを過ぎると、いつのまにか音と自分が一体になり、終盤には音と物語が全身に溶け合っています。演奏が終わるとハッと我に返り、経験のない感動に包まれている自分を見つけました。


まるで魔法のような演奏。最高の指揮者のひとりと言われます。



比較すること自体がおかしいんですが・・・。「幻談」と「観画談」から受けた印象を総合すると、その感覚に似ていました。無機質なのに、いつのまにか全身に沁みてくる・・・。文芸作品からこんな印象を受けたのは初めてです。



ところで、「骨董」と「魔法修行者」は作品の性格が全然違います。
とにかくウンチク


しかしこのウンチク、「まさに文芸」というべき超ハイレベルです。桁外れ、まったく想像もつかない博識さ。「骨董」は時代を超えた人の道楽にまつわるエピソードを披露し、読み方によって推奨とも戒めとも取れる筆致になっています。「魔法修行者」も似た形式で、人間の行動を歴史的事実から考察するようなお話しです。ただし、これも感じ方は読み人に託されているように感じます。


圧倒的な知識量。


今までに読んだことのある本の範囲で、1番博識で知恵のある作家として思い出すのはP・F・ドラッカー、D・カーネギー、南方熊楠なのですが、そこに比べても、博識さに関しては露伴が1番かも?、と思ったりしてしまいました


特に宗教、哲学、それに歴史については、まるで古今東西すべての書物が頭に入っているかのようです。近年の天才と感じるムツゴロウ先生や北杜夫先生が子供に見えてきてしまうレベルです。


露伴の本はまだこの1冊しか読んでいないので、ただの勘違いか思い込みかもしれませんが、ひとつ気が付いた点があります,露伴は仮説の上に仮説を建てることをしないような気がします。おそらく、あまりの博学さのせいで想像を積み上げる必要がないのかもしれません。言い換えれば、露伴の発想の直接の土台は、常に世界中のどこかに実際に存在しているように感じました。



博学と明察の人、幸田露伴。


釣りが大変に好きだったそうです。5つめの「盧声」では、露伴が何より愛したという釣りのひとときに訪れたエピソードが引かれます。


それにしてもこの本に収められた5つの短編のバランスは絶妙です。小説あり、エッセイあり、論説あり。言い換えると不思議あり、畏怖あり、教訓あり、慈愛あり。


僕はこれからも露伴の本を読んでみようと思いますが、最初にこの本に当たったことは幸運なのかもしれません。この次は、釣りを主題にした作品を探してみたいと思います。



ところでこの本は文語体なので、読んでみようとされる方も少ないかと思います。


そこを考慮して、というと変かもしれませんが、印象に残った文をひとつ、引用させて頂こうと思います。「魔法修行者」の1節です。


「何事でも目的を達し意を遂げるのばかりが楽しいと思う中は、
 まだまだ里の料簡である。その道の山深く人った人のことではない。
 当下に即ち了するという境界に至って、一石を下す裏に一局の興はあり
 一歩を移すところに一日の喜は溢れていると思うようになれば、
 勝って本より楽しく、負けてまた楽しく、禽を得て本より楽しく、
 獲ずしてまた楽しいのである。」


※「里の料簡」は井の中の蛙、という感じ。「当下に即ち了する」はその一瞬一瞬にすべてが完結している、というような意味だと思います。


この文、読めば読むほど共感が湧いて来ませんか?


釣りっぽい表現はないのですが、あらゆる趣味や道楽に通ずる露伴の所見と捉えて良いと思います。露伴が大変な釣り好きだったということからも、きっと釣りを楽しむ境地も思い浮かべながら書かれた文章に違いありません


僕は、自分の釣りの楽しみ方がまさに「里の料簡」レベルであることに耳が痛い気がしますが、いつか心の底から瞬間瞬間を楽しむことができるようになれたらいいな、と思いました



心から海と釣りを愛する方々がたくさんいる手漕ぎボート釣りの世界。
露伴のいう「境界」に至っている達人が、なんだか周りにたくさんおられるような気がしています





2014年2月 5日 (水)

【温故知新?】ブックレビューNo.3「大江戸釣客伝」

「大江戸釣客伝(上)(下)」夢枕 獏 著(2013年講談社)


Bookreview3
時代ものが苦手でさえなければオススメです!面白い!o(^o^)o

第46回吉川英治文学賞、第39回泉鏡花文学賞、第5回舟橋聖一文学賞の3冠受賞作品です。


この本は刊行されたのが2011年、文庫化されたのが昨年(2013年)なので、温故知新というこのコーナーの主旨には合わない面もあるかもしれません


元禄時代に生きた、現存する日本最古の釣り指南書「何羨録」を書いた「津軽采女」を主人公とした時代小説ですが、決して釣り指南を目的とした本ではありません。作者が夢枕獏先生ということもあり、最初はちょっと違和感のような感覚を抱えながら読み始めました。


夢枕獏先生というと、SFやファンタジー系の派手なストーリーがまず浮かび、次に時代ものというと「陰陽師」のイメージが出てきます。どちらも僕は大好きなんですが、創作の大家という印象があり、どうしても江戸時代に実在した釣り侍の話と頭の中でつながらなかったんです



読み終えました。


僕が思い描いていたことは、ことごとく外れていました。
それも「大外れ」です


夢枕摸先生の筆力。


想像力に任せたファンタジーの気配なんて、微塵も感じられませんでした。緻密で時間をかけた取材に基づいて、元禄時代の人々の性格や交友関係を丁寧に調べ上げ、生き生きとした人物像を浮かび上がらせています。


いえ、そんな堅苦しい表現では足りません。
先生の筆は、読み手を元禄時代に連れて行ってくれる魔法です。僕達はこの本を読むことによって、生類憐みの令の時代を生きた市井の釣り師達の生き様を実感することができます
釣りは、竿や鈎で魚を獲ることを示す言葉ではありません。



もうひとつの大外れは、この本が「何羨録」の誕生に焦点を当てた物語ではないことです。読む前、僕は勝手に「津軽采女の人生と、何羨録を書きあげるまでの紆余曲折が描かれているにちがいない」と思い込んでいました。


むしろ、津軽采女の人生の詳細は省かれています(その代わり物語の最後に作者自身による補足という形で記されます)。同じ時代を生き抜いた釣り好き達の、響きあう命の煌めきが、群像として描かれています。


この本を読むと、心の中に何人もの新しく古い友人を得ることができます
時代は違えども、釣りを愛し、懸命に生きた人達。何もかもが違うのに、こんなに魅かれてしまうのは、彼らが皆、どこか不器用ながらもひたむきに生きた姿と、釣りが好き、という心の共通点があるからなのでしょうか・・・。


竿は、人生を歩くための「杖」である。


できればいつか、登場人物達のお墓を巡って歩きたいと思います。





2014年2月 1日 (土)

【温故知新】ブックレビューNo.2「自選 釣れづれの記」

温故知新のブックレビューの2冊目です


「自選 釣れづれの記」矢口 高雄 著(つり人社1991年)


Bookreview2
読みやすい本です。読了以来、仕掛けの扱いが変わりました。

言わずと知れた「釣りキチ三平」の作者・矢口高雄先生のエッセイ集です


おそらく僕の世代から上の釣り好きな人達は例外なく「釣りキチ三平」の影響を受けているのではないでしょうか?僕ももちろんそのひとりで、「三平」にとどまらず、「バチヘビ」や「マタギ」等の生き生きとした自然にあふれるたくさんの作品とは、今でも心の中で一緒に過ごしていますし、「僕の学校は山と川」や「僕の手塚治」といった作品は心の教科書のような気がしてなかなか手放せず、今でも本棚に大切に置いてあります


この本はマンガではありません。
月刊誌「つり人」誌上に連載された176篇のエッセイから作者ご本人が選び出された24篇が収録されています。こっとんさんのブログで紹介されているのを拝見して、読んでみることにしました。


読んでみて、改めて感じたことは、「マンガ家」という職人の想像力の凄さです。


矢口先生のイマジネーションは、何かきっかけを得ると、泉・・・というより、火口から噴き出るマグマのように力強く広がっていきます。点と点の事実を繋ぎ合わせることは誰でも可能ですが、矢口先生の発想は線や面を超え、立体となり、常識を超えて膨らんでいきます。そのエネルギーの源のひとつは巨大な好奇心。もうひとつは、人や魚を含む「自然」が大好き大好きでしょうがないこと・・・。そんな風に感じました


この本の中にも、そんな想像力の爆発が記されています。
詳細には触れませんが、現存する日本最古の釣り指南書「何羨録」の作者・津軽采女に係わる章や、「釣りとタバコ」の関係を考察する章などからは、多くを学ばせて頂くことができたと思います。



もうひとつ。


この本を読んで感じたことは、人の繋がりの有り難さです。矢口先生には各界の才能ある方々が協力を惜しみません。それこそ日本中です。みんな矢口先生のファンだからです。先生はその繋がりによって、想像力に翼を得られています。


少し角度が変わりますが、僕は以前から「ブログは好奇心の空をはばたく翼のよう」と感じています。ブログによって産まれた人の繋がりが、無限の可能性を広げているように思うからです


大きさに違いはあるにせよ、望めば誰もが翼を持てる時代。


みなさんが羽ばたたこうとしているのは、どんな空でしょう?





2014年1月27日 (月)

【温故知新】ブックレビューNo.1「ムツゴロウの大漁旗」

温故知新のブックレビューです


しばらく休漁期間になるので、その時間を何に充てようか考えました。その結論のひとつが「本を読もう」です。せっかくなので、有名な古典や、今後入手が難しくなっていきそうな本を中心に読んでみることにしたいと思います


ブックレビューと銘打ってしまいましたが、内容の要約(ネタばれ)等は極力控え、個人的な感想に軽く触れる程度にしよう思います。読むきっかけになったことも書き添えるつもりです







最初の1冊です


「ムツゴロウの大漁旗」畑 正憲 著(文春文庫1979年)


Bookreview1
206ページと薄めですが、小さめの字でぎっしり詰まっているので、見かけより読みでがあります。

動物学者で有名なムツゴロウ先生の書かれた釣りエッセイです。僕は学生時代にムツゴロウ先生の本を何冊か読んでいますが、釣りの本を書かれていたことは知りませんでした。たけちゃんさんのブログで紹介されていたので、読んでみることにしました



衝撃でした。


脳みそを直接両手でガシッと掴まれて、ユサユサと揺すぶられたようです。これまでの「釣り」に対する考え方のいくつかが、根本から揺らぎました。恐るべきはムツゴロウ先生の「知識欲」と「行動力」、そして「本物を求める執念」です


最近までの釣り経験のおかげで、ようやく理解が追いついたような部分もあります。また、予備知識が足らず、充分に理解できていない部分もあるかもしれません。もしかすると初心者向けとは言えないか、又は折に触れて何度も読み直すべき本なのかもしれません。


特に第3節「紀州のジプシー」は強烈でした。現在ではもう失われたであろう本職の中の本職釣り師達「雑賀衆(鉄砲で有名な雑賀衆と同じ地域です)」の姿を全力で追い求め、ついにその釣りを目の当たりにする話なのですが、熱くほとばしる何かが何度も深く胸に突き刺さってきました。そのエネルギーにあてられて、途中で何度か目を閉じ、体の震えを抑えなければなりませんでした。


他にも、鯉やハゼ、スズキといった身近な魚から潜水艦のよぅな巨大魚まで幅広く取り上げられますが、決して釣技をまとめた本ではありません。ムツゴロウ先生が体を張って追い求めた「本物」の探求記です。全編を通じて、都市化や釣りのレジャー化による「伝統の釣り」や「本来の魚の味」の消滅への哀歌のような心情がちりばめられています。


ドキュメンタリーだと思います。ムツゴロウ先生の筆力は、鋭く深い観察力に支えられて事実を克明に伝えます。伝統的な釣り方や、魚の習性に関する記述は、現在でもまったくその価値を失っていないと思います。いえ、むしろ時代が変わり、失われていく伝統の記録として、その価値を増しているようにも思えます


読み終え、日常生活の中で何度か反芻していたら、これまでにたけちゃんさんから頂いた言葉のいくつかが、自然と腑に落ちていきました。


素晴らしい本だと思います





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