【温故知新】ブックレビューNo.4「幻談・観画談 他三篇」
ブックレビューの4冊目です
今回は本当に古いです。
「幻談・観画談 他三篇」幸田露伴 著(1990年岩波書店)
昭和13年に発刊された本の文庫版です。幸田露伴の5つの短編が収録されています。かなり古い本で、文章も文語体なので、ややとっつきにくい部分もあるかもしれません。
この本を入手したのは、表題にもなっている「幻談」を読むためです。
「幻談」はNo.1で取り上げた「ムツゴロウの大漁旗」の中にチラッを出てきます。またNo.3の「大江戸釣客伝」の冒頭のエピソードは丸々この短編のオマージュになっています(第1章のタイトル自体がそのものズバリ「幻談」です)。
ただし、読んでみた感想として、この本を「釣り本」として捉えるのはおすすめできません。森鴎外や尾崎紅葉と同じ時代に一世を風靡した幸田露伴の文芸作品と考えるべきと思います。
この本に収められているのは以下の5つの短編です。
「幻談」
「観画談」
「骨董」
「魔法修行者」
「蘆声」
このうち、釣り絡んでくるのは「幻談」と「蘆声」です。
「幻談」、「観画談」。
2作品とも、過去に露伴が知り得た、不思議な出来事を経験した人の体験談を伝聞形式で書き連ねた体裁のお話になってます。ちょっとした怪談のような捉え方もできるかもしれません。特に「幻談」は不気味な感じがやや強い作品です。
でも、怪談の類と違うところは、文章から修飾や誇張が限りなくそぎ落とされていて、淡々と話が進んでいくことです。正直、最初はつまらない印象を受けました。
読み終えて幾日か過ごしていると、頭に残ったエピソードが、色々な形で語りかけてくることに気付きました。特に強い印象を持ったわけでもないのに、頭の中にたびたび思い出され、そのたびに新しい印象が浮かんでくるんです。
うまく表現できませんが、語って来るの文字ではなく、行間?という感じ。心に入った真っ白な文章が鏡のような働きを持ってきて、自分の心の中を反射し始めたような気がしました。
ハンス・クナッパーツブッシュをご存知でしょうか?
20世紀初頭から半ばにかけてドイツで活躍したオーケストラ指揮者です。僕は一時期、ワーグナーの曲を色々な指揮者で聞きまくっていた時期があり、その時にCDで聞いた中の1枚だったんですが、忘れられません。
淡々として機械的なテンポの演奏。聞いていると単調でガッカリ気味。しかし気が付くと、批評しようとする意思の下側からいつのまにか潜り込んで心の奥に響いてきます。演奏も半ばを過ぎると、いつのまにか音と自分が一体になり、終盤には音と物語が全身に溶け合っています。演奏が終わるとハッと我に返り、経験のない感動に包まれている自分を見つけました。
まるで魔法のような演奏。最高の指揮者のひとりと言われます。
比較すること自体がおかしいんですが・・・。「幻談」と「観画談」から受けた印象を総合すると、その感覚に似ていました。無機質なのに、いつのまにか全身に沁みてくる・・・。文芸作品からこんな印象を受けたのは初めてです。
ところで、「骨董」と「魔法修行者」は作品の性格が全然違います。
とにかくウンチク
しかしこのウンチク、「まさに文芸」というべき超ハイレベルです。桁外れ、まったく想像もつかない博識さ。「骨董」は時代を超えた人の道楽にまつわるエピソードを披露し、読み方によって推奨とも戒めとも取れる筆致になっています。「魔法修行者」も似た形式で、人間の行動を歴史的事実から考察するようなお話しです。ただし、これも感じ方は読み人に託されているように感じます。
圧倒的な知識量。
今までに読んだことのある本の範囲で、1番博識で知恵のある作家として思い出すのはP・F・ドラッカー、D・カーネギー、南方熊楠なのですが、そこに比べても、博識さに関しては露伴が1番かも?、と思ったりしてしまいました。
特に宗教、哲学、それに歴史については、まるで古今東西すべての書物が頭に入っているかのようです。近年の天才と感じるムツゴロウ先生や北杜夫先生が子供に見えてきてしまうレベルです。
露伴の本はまだこの1冊しか読んでいないので、ただの勘違いか思い込みかもしれませんが、ひとつ気が付いた点があります,露伴は仮説の上に仮説を建てることをしないような気がします。おそらく、あまりの博学さのせいで想像を積み上げる必要がないのかもしれません。言い換えれば、露伴の発想の直接の土台は、常に世界中のどこかに実際に存在しているように感じました。
博学と明察の人、幸田露伴。
釣りが大変に好きだったそうです。5つめの「盧声」では、露伴が何より愛したという釣りのひとときに訪れたエピソードが引かれます。
それにしてもこの本に収められた5つの短編のバランスは絶妙です。小説あり、エッセイあり、論説あり。言い換えると不思議あり、畏怖あり、教訓あり、慈愛あり。
僕はこれからも露伴の本を読んでみようと思いますが、最初にこの本に当たったことは幸運なのかもしれません。この次は、釣りを主題にした作品を探してみたいと思います。
ところでこの本は文語体なので、読んでみようとされる方も少ないかと思います。
そこを考慮して、というと変かもしれませんが、印象に残った文をひとつ、引用させて頂こうと思います。「魔法修行者」の1節です。
「何事でも目的を達し意を遂げるのばかりが楽しいと思う中は、
まだまだ里の料簡である。その道の山深く人った人のことではない。
当下に即ち了するという境界に至って、一石を下す裏に一局の興はあり
一歩を移すところに一日の喜は溢れていると思うようになれば、
勝って本より楽しく、負けてまた楽しく、禽を得て本より楽しく、
獲ずしてまた楽しいのである。」
※「里の料簡」は井の中の蛙、という感じ。「当下に即ち了する」はその一瞬一瞬にすべてが完結している、というような意味だと思います。
この文、読めば読むほど共感が湧いて来ませんか?
釣りっぽい表現はないのですが、あらゆる趣味や道楽に通ずる露伴の所見と捉えて良いと思います。露伴が大変な釣り好きだったということからも、きっと釣りを楽しむ境地も思い浮かべながら書かれた文章に違いありません。
僕は、自分の釣りの楽しみ方がまさに「里の料簡」レベルであることに耳が痛い気がしますが、いつか心の底から瞬間瞬間を楽しむことができるようになれたらいいな、と思いました。
心から海と釣りを愛する方々がたくさんいる手漕ぎボート釣りの世界。
露伴のいう「境界」に至っている達人が、なんだか周りにたくさんおられるような気がしています。
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コメント
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おはようございます
思いで多き北杜夫の名前が、チラッと出てきてしまったのコメントですw
HEPPOさんの書かれた記事の内容とは、かけ離れたコメントもお許しあれ♪
ドクトルマンボー・シリーズが面白くて面白くて読み出しました。
青春期も良いが、昆虫記がお気に入りです♪
そして買ってしまった「幽霊」。
面白い本だろうと思って買いましたw
なんとなんとなんと、別物でした。
そして若き北杜夫が「トニオ・クレーゲル」を、いつもポケットに忍ばせていたように、
真似して「幽霊」の文庫本をいつもポケットに入れていました。
電車に乗り、バスに乗り、山登りなんか好きではなのに美ヶ原に登ったりと、
全開バリバリで、気合が入っていましたよ(笑)
投稿: 釣りキチ先生 | 2014年2月13日 (木) 07時18分
> 釣りキチ先生 様
コメントありがとうございます!
遅いコメントですみません。
そっか~、先生の文才の礎にはどくとるマンボウシリーズの影響があるんですね!
なんだか、すご~く納得してしまいました。
僕はどくとるマンボウ世代の少し下です。
でも家の隣に図書館があったので、手に取ることができました。
僕は小、中学生の頃、ちょっとませガキ系で少し背のびした本ばかり読んでました。
(どくとるマンボウの他に、指輪物語とか・・・難しいけど、面白かったなぁ)
正直細かい部分は覚えてないのですが、真剣なのに滑稽な独特のユーモアにはまってしまった覚えがあります。
あと、青春記の印象だと思いますが、人間、何歳になっても気持ち一つで青春は持ち続けられるんだ!と感じたことが残ってます。
そういう気持ちで考えてみると、先生は完全に今も青春時代真っ盛りですね!o(^o^)o
いえ、手漕ぎボート釣りで繋がっている方々は年齢に関係なく、みんな青春を過ごしてる感じがします。
うーん、困った!北杜夫先生の本を読み直したくなってきちゃいました。
今も、釣り本の合間に他のジャンルの本も読んでるんですが、北杜夫先生は著作が多いので、
手を出すときっと釣り本を読むヒマがなくなっちゃいますね。どうしよう(笑。
投稿: HEPPO | 2014年2月15日 (土) 23時41分